<連載コラム最終回>


今回でいよいよ岡村博文の「下駄の旅」は終わる。
ここまでともに「旅」を続けてきたカントリー・オンライン読者の感想はいかがだろうか?
編集部では毎回彼の原稿を下読みする時に、その大胆さ、実直さ、勇気、豪放磊落さ、そして破れかぶれとも言えるほどの行動力の記録に痛快なる笑いを禁じ得ず、またその人懐っこいほどの飾りのなさと自然に醸し出される可笑し味に思わず手を叩き親愛のエールを送ってきた。
単純明快なテーマに基づく、ほとんど無為無策といえるほどのこの「旅」。
しかしこの記録が伝える人間行動のひたむきさに編集部は賛辞を贈りたい。

いよいよ怒涛のゴールへと向かう岡村博文が最後に経験することとなった凄絶なる決心。その山場とその後をともに経験すべく、読者諸氏にはぜひ最終回のこのコラムを心行くまで味わっていただきたい。

(19)三原市木原町  午後8時50分着 午後9時10分発

なぜ兄の言葉に納得したのか。
それは兄も「旅」の経験者であり、その言葉には説得力があったからだ。
同時に自分の気持ちの中にも「まだ続けたい」「ここでやめては駄目だろうな」という思いが残っていたからだろうと思う。
人のためではなく、自分のために歩いているのだと考え直したのだ。

では、歩くために絶対必要な足が動かなくなってきているこの状況をどうするのか。
それでも歩くのか。決断だった。
しかしこの決断の答は、「一人旅」だからこそイエスとなった。
相談相手はいない。だから「歩く」という決断を下せたといえる。

「気力&根性」だけで。

痛いのはもうしょうがないことだ。
どうしてもそれを脱ぎさることはできない。
だから、あとは気持ち次第だ。
そう考え直した時点で、何もかも吹っ切れた。
とにかく、先へ進もう。歩くしかない。

自転車の旅でキツイのはやはり登りである。
私はその登りでいつも自分に言い聞かせていることがある。

「登りがあれば必ず下りがある」

そうなのだ。
何でもキツイピークがあるが、乗り越えると楽になる。
この時もまさしくその言葉通りの状況だった。
そしてこの言葉を思い出し、再び歩き始めることができたのだ。


(20)尾道市福地町  午後10時17分着 午後10時30分発

元気を出して歩いていたペースが、また落ちてきた。
ここまでは、さっきの決断で心が燃えて熱くなっていたので痛さを忘れていたのだが。
ここ1時間で1Kmほどしか歩いていない。
足の裏に感じていた壁が1cmから2cmになったように思う。
とっくに足の限界は超えていると思うのでビックリはしないが、動いてくれないとどうにもならない。
今度は、気持ちは動いても体が動かないということになってしまったらしい。

「限界」という状況が理解できる。
歩く気持ちはあるが、体が動かない。このハッキリした意識は「あきらめ」ではない。本当に「体力の限界」なのだ。
しかしそれでも、もうやめようとは思わなかった。
気力が、体の痛みに打ち勝っていた。まさにそれが「根性」だった。
「根性」が痛みを克服していた。


(21)尾道市吉浦町  午後11時50分着 午前2時50分発

体をいたわりながら、どうにかこうにか歩いている。
這いずり回ってではないが、まわりから見るとそうだったかもしれない。
足を動かすために、体を曲げてモモに手を当てて足をひきずるのだから。
1時間20分で2km。これで精一杯だった。
それでも歩くことはやめてはいない。満足だ。

それにしてもここまで全く寝ていない。すごい!試験勉強でも徹夜をしたことはないのに。
しかし実際は寝るのが怖かったのだった。横になると疲れで何時間でも寝入ってしまいそうで。
結局起きれなくなるんじゃないか?あるいは起きてもこの足がどうなっているか?そのまま動けなくなってしまうのではないか?

しかしこのままではたぶん続かない。そこで大休憩をとることにした。
ちょうど玄関付近に大きな屋根のある建物があり、その前に腰を降ろした。
栄養を取るためと、重い荷物を少しでも軽くするため、食料を減らすことにした。
「旅」の必需品の一つだが、固形燃料(缶に入っている燃料)を常備している。
疲労の極致にあっても食べ物は旅の何よりの楽しみであり、最大の体力&気力回復剤となる。
いつも持参の『焼肉の缶詰』を缶切りで開けた。
これを固形燃料で熱するのだが、コツは3分の1ほど残してフタを曲げておこし手で持てるようにすることだ。
このフタが固形燃料の火加減を調節する役目を果たす。
こうして缶ごとグジュグジュ煮込み、脂分が溶けるのを待つ。
出来上がったらこれまた持参のフォークに肉を差し、途中で買ったパンと一緒に食べた。最高のメニューだった。
食べ終わって横たわると自然に目が閉じて、そのままわからなくなってしまっていた。
ハッと目が醒めた。2時間半ほど寝ていたようだ。体はすこぶるいいみたいで、歩くことはできそう。
立ち上がって周囲を見回すと、寝ていた建物の玄関の看板には「裁判所」と書いてあった。
すごい所で寝ていたもんだ。いい根性しているよナ。知らなかったからこそ出来た芸当だろう。
それにしても誰が見ても凄まじい光景だっただろうな。


(22)尾道市山波町  午前4時20分着 午前4時28分発

なんとよく歩いているではないか?さっきの休憩地より5Kmは来ている。
暁の尾道市内を下駄を滑らしながら、カランコロ〜ン、カランコロ〜ンと音を響かせて歩いている。
昼間だったらこの音は聞こえなかっただろう。下駄の響きが痛さを忘れさせてくれる。
さっき取った睡眠がよかったのだろう。決して足が楽になったとはいわないが、精神的に落ち着いているようだ。
新聞配達の自転車や単車が道を交差しながら走る光景を目にする。これから朝を迎えるんだな。そんな風に初めて「時間」を感じた。
気分もいい。10分も休まないで、また歩き始める。

一緒に100kmを歩き通した下駄。
しかしスケートみたいだな。

(23)尾道市高須町横路  午前5時38分着 午前6時20分発

あと1歩で福山市に入るところだ。
もうここまでくると「なにがなんでも歩き通すぞ」と意気込んだ。
そうなるとなんとかして48時間を切りたくなってきた。
福山駅までの道のりを考えてみる。あと少し、17kmぐらいかな?
時速4kmで4時間と少しだが、6時間かけてしまうと48時間を超える計算になる。

やがて松永に入った。踏ん張って歩いている。もう痛いことにも全く慣れっこになってしまったようだ。
決して楽なのではない。体はボロボロ、足は自分のものでなく、一歩先を見ながらただ前進あるのみ。

今まで生きて来た人生の中で、一番辛いことが今起きているのは間違いのないことだ。

下駄をひっくりかえしてみるとなんと、2つあるケタ(?)の高さの内側と外側が全然違う。外に向けて低くなっているのだ。
元の高さを考えると内側だって半分くらい。外側はさらにその半分になっている。
ここまで磨り減るのかと妙に感心した。でも、それって俺の歩き方に問題があるんじゃないか?まさしくO脚というやつかな?
そこで左右を履き替えてみたが痛みは倍増するだけで、すぐに元に戻した。


(24)福山市

福山市に入り、もう一度休むことにした。
さっきから歩く後ろ(西)から吹きつける風が強くなってきた。
風で後押しされるようで気分的には楽ではあったが、悪いことに雨が少し降り出した。
ここまで来て、最後は雨の洗礼を受けるのか?
これはたぶん、歩き始めの時にちょっと気にしていた「台風」なのだろう。

しかしここまで来るともうどうするとか、どうしたいかという問題ではない、雨が降ろうが槍が飛んで来ようと関係ない。
あと10kmあるかないかであきらめる訳にはいかない。
誰が見ているのでもないし、誰かのためでもない。ここまで苦労して歩いた自分のためなのだ。
下駄のあたる足裏はもちろん痛い。2本の足は火の棒のよう。腰はしゃがみ、リュックのあたる肩も磨り込みヒリヒリしている。
とにかく体で痛くないところはない。全身がキズだらけ!
雨が少し横殴りになり始めた。


(25)完 歩

さっきの所が最後の休憩になるかどうか考えずに出発した。
歩き出すと「これで福山駅に着ける」という思いで自然と体が動いた。
雨もかなりきつくなり始め、持っていた折りたたみ傘も残り5kmを切ったあたりから差しても差さなくても関係なくなった。
ついに本降りになってしまった。
この場に及んで、まだ痛めつけるのか?

「上等じゃ」
「思いっきり痛めつけな!」
「もう、なんともないぜ!」

ゴールが見えて来ると信じられないくらい心も大きくなり正々堂々としてきた。
頭の先から足の裏までビッショリずぶ濡れ状態。もう痛みは感じない。歩き通してゴールした自分を想像しているからだ。
格好なんかどうでもいい。恥ずかしさなんてなんともない。

そして、広島駅を出て46時間17分。無事に福山駅に着いた。
どのこうの言いながらも、やり通した。

思ったより遠かった。「キツイ旅」だった。

ずぶ濡れの服を着替えるため、トイレに向かった。
ビニール袋に包んでいた着替えをリュックから出して着替えた。
その姿を偶然にも家の近所の人が見ていた。

「どうしたの?」「何をしたの?」「どこ行くの?」と質問攻め。

「広島から歩いて帰った」

ただ一言、そう答えた。

タクシーで家に帰るから一緒に乗って帰るかとの温かい言葉。
二つ返事で「ハイ」。
車の中では、漠睡状態。乗った途端に寝込んでしまたらしい。
気がついたら家の前だった。


(後 記)

この旅は、最初から計画性のない軽はずみの行動だった。
目的は「足」という自分自身の道具を使ってひたすら歩くこと。
しかし、この道具が壊れたらどうなるのか?そのことは予期していなかった。 
けれど体力の限界を知ったその時、気力で「やる気」を復活させ「根性」でその「やる気」の火を燃やし続けた。
そういうことをあの若い時代に経験できてよかったと思う。普通に生活していてはまず味わえない経験だったから。

それに、自分を見つめ直すのにいい時間を持てたとも思う。
結局この旅の最大の成果は、歩き通したことよりも自分の心と闘い、それに勝ったことだった。
これで少々の困難には打ち勝つ自信を持つことが出来たのだ。
苦しいことの後には必ず「喜び」が来ると知った。
そして、人間一人になった時には案外強くなれるという教訓も学べた。

その後この「下駄で100km」を契機にして、野宿をしながらの旅を続けていくことになる。
それについてはまた別の機会に書いていこうと思う。



岡村 博文
E-mail: okamura@fuchu.or.jp
Website: http://www.fuchu.or.jp/~okamura/

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