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<連載コラム第2回> | ||||
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連載第1回目に、「一人旅」という自らの「原点」についてふりかえった岡村博文。 その彼が始まりから「タダモノ」でなかったことを雄弁に語る「史実」がある。 「下駄を履いて100km歩く」ことを思い立ち、それを実行したことだ。たった一人で。炎天の真夏に。 これから数回にわたって連載されるコラムは、その汗と涙と根性の記録である。 |
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高校3年の夏休み、以前より計画していたことを実行に移した。 「長く歩くとどれぐらい辛いだろう」と考えていた。我ながら単細胞的思考だ。しかしそれを体験したくなったのである。 それも靴ではなく、下駄を履いて歩くのだ。徒歩下駄旅行である。それも思いっきりの長距離。 100km! 友人に「わしゃ、下駄を履いて100Km歩くぞ」と言うと、「おまえは馬鹿か?」とけなされた。 まあ馬鹿かもしれない。しかしそれはいい。 馬鹿は馬鹿なりに、行動に理由付けをするものだ。 自分の周りの誰もやったことも無いことをする。それがこの「旅」を思いついたきっかけである。 でもどうせなら誰も真似ができないように、下駄を履いて歩く。 これで立派な理由付けができた。 |
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さて、次にどこを歩くか? わかりやすく、キリのいい距離で、広島駅から福山駅と決めた。 夜でも明るく食料を調達できることという条件にかなう。 無論遊んだり観光したりなんてことは全く考えない。ただ「踏破する」という目標を達成することに専念である。 なぜ一人旅か?(これについては第1回目に書いたものの、この時分はまだ「悟り」を開いてはいなかった) 友人に相談をもち掛けることなど考えもしなかった。 計画を聞いて「おまえは馬鹿か?」と言う連中である。誰も相手するはずがない。 それにこれまでも私の旅の相棒はまったくいなかった。 なぜだろう。いつも思う。 俺は変人なのだろうか? それともやることが変わりすぎているのだろうか?(そういう人間を人呼んで変人というのだが・・) |
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ところで歩くのは何とかなりそうだが、下駄がいったいどのようなものか実はまったく知らない。 それまでまともに履いたことがない。長距離に向かないのは確かだろうが、まあ裸足よりは痛くはないだろう・・・。 けれどやはり心許ないので、前日に荷物もフル装備で1時間ほどかけて7Kmを歩いてみた。 「な〜んだ。楽勝だ!」 これなら24時間ほどで全行程を踏破できると「確信」した。 今考えると当り前のことだが、この安易な「確信」がそれまで経験したこともないどん底に私を導いたのだった。 決行の日の朝。 出発地の広島駅に向かって福山駅から山陽本線に乗った。 この時は運動靴にGパン。目立たない格好である。 数日前に台風がこちらに来ていると聞いていた。 しかし全く気にも留めなかった。 こうして私の「根性の旅」は始まった。 (次号に続く) |
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