<特 別 寄 稿>

岡村博文の遊びのカタチは多彩である。
徒歩の旅、自転車、バイク、4WD、釣り、ヒストリックカー、ログハウス・・・・・。
しかし、彼が一番好むのはどうやら、一人旅のよう。それも、小さな一人旅である。
今回は、一回限りの特別寄稿。
少年の心が呼びさまされる日曜の朝に物語は始まった・・。


日曜日の朝、目が醒めて空を見上げる。

「いい天気だよなあ〜。家にいるのはもったいないなあ〜」

そう言いながら、車庫に行ったのが間違いであった。
最近林道を走るためと写真を撮りに行くための足として購入した車(=ジムニー)の座席に座り、ハンドルに手をかけた。
その瞬間、

「走りに行こう!」

と唇は呟いていた。

車庫のシャッターを開け、キャンプ用品一式とカメラ機材と予備のガソリン、そしてコーヒーも忘れずに車に載せた。
出発するまで約15分。
夜までには帰る、と言って飛び出す。

そうは言っても、さて一体どこへ行くのか?
そういえば、前から気になっていた林道があったな。
で、そこを探索することに。
そのまま、国道を2時間ほど走った。
見知らぬ初めての場所で、地図を見ながら林道の入り口を探すのはいつもながらやっかいである。
カーナビを搭載したいのだが、今回も車を購入する時に取っておいたそのための予算を車の整備費に回してしまった。
とはいえ、カーナビは林道に入ると実際は使い物にならない。カーナビの表示画面にはこういう林道の類は載っていないからだ。

それにしても目的の林道の入り口を探すにも自分の現在地がわからないから困る。
今回も結局、よその家の庭に何度も進入しては「すいません」を連発。
挙句の果てには入ろうと思っていたルートではなく、出るはずの方から入る始末となった。

愛車ジムニー
ところで、たまに四駆乗りは自然破壊者と間違われる。
しかし四駆乗りにもいろいろいるのである。
我々のような林道を走る者は、クロスカントリー派とは違い道なき道を走るのではない。
一方、クロカンの連中は林道には入り込んで来ない。
その理由は全国に彼らが走る決まった場所があるからで、彼らは専らそこで車をボコボコにして急な斜面を登り、車の性能の限界を楽しんでいるのだ。
それはそれでまあ彼らの遊び方だし、別に文句はない。
なるほどそういう乗り方をする場合林道ではもの足りないのは事実だろう。
そして我々は林道を走りはするが、樹木を押し倒したり、林の中に分け入って無理やり道を作ったりは決してしない。
既にある林道をおとなしく走るだけである。
だから四駆乗りを誤解しないでほしいと、思う。
四駆には色々な乗り方があり、いろいろな自然の愛し方がある。

林道は、自然の素晴らしさを心行くまで味わわせてくれる。
しかし一方で、ダートとなると危険が待ち構えている。
一人で走る時は尚更そうだ。いくら短い林道でも馬鹿にすることは出来ない。
けれど、このダートにこそ、林道を走る醍醐味がある。
緑の風に吹かれて
木立を抜ける

たとえば、綺麗に舗装された道路を走る時、タイヤからハンドルに伝わる道の感触は皆無に近い。
しかし林道でダートになると、大地の段差がハンドルを通して直に体まで伝わる。石や水溜りの水などを跳ねる感覚が伝わってくるのである。
大地のデコボコを体感したら、スピードをダウンさせ、緑の空気を体いっぱいに浴びる。林道を走る幸福の一瞬である。
道とタイヤの振動を心地よく体で感じながら、手に伝わる感覚を瞬時に判断してコース取りをするのは飽きない。

二駆から四駆にシフトする瞬間。
それは陸上競技で例えるならば、スタート地点に立った瞬間に近いものがある。
ドキドキし、少し気をひきしめてアクセルを踏む。
そう感じて林道を走り始めて9年目である。
林道での危険や車のトラブル、また思いがけないスッタクも経験している。
今回はたった一人(1台)。冒険である。
無茶に奥まで突っ込むと車を置いて帰ることになりかねない。そうなると、さっき見た最後の家まで何時間も歩くことになる。
ある程度荒れた道の方が確かに面白いのだが、草が生い繁り道に轍もなくなるとさすがに不安になってくる。
車が動かなくなったら、どうしようか。
もうここらで引き返すか。迷い出す。
一人は自由でいいが、決断の連続なのである。
この車はフル装備をしていない。つまり、「やめる」という段階は早くやってくる。
もしウィンチを付けていれば、スタックして出れなくなっても自力で脱出は可能になるが、なにしろ資金が無い。

ところで装備の話だが、林道に入る時は予備のガソリンと食事を用意していなくては痛い目に合うことがある。
今回も予備タン(18リットル)は携帯している。林道に入る前にコンビニで簡単な弁当も買った。
できれば景色のいいところで携帯コンロで肉を焼き、食後はゆっくり昼寝でもしたいのだが、今回は咄嗟の思いつきの行動。
準備が悪くてこれは諦める。

しかし案の定であった。
林道で迷いに迷い、行き止りも2度。危険を感じて諦めること3度。
結局、2時間以上もさまよってしまった。
弁当を買ったのは大正解。林道脇で軽く食事は済ませた。
エンジンを止めて林に立つと、周りからは鳥のさえずりや風が木を揺らす音が聞こえてくる。
椅子を林の中に置き、一人座る。
しかし、後ろから何か動物がやって来やしないかと何度も振り返る。
馬鹿なことしてるよな・・・。
でも一人ぼっちでここに居ること。
それは自然の中の大いなる自由であり、快感である。

ふと見ると、笹百合が咲いている。
こういう自然の中にぽつんと咲いている方が、綺麗だ。
人間の手がかけられていない原生林の中だから、いいんだろうな。
でも、なんで1本しか咲いていないのだろう。ここは笹百合の群生地のはずだが・・・。
ひょっとして群生した時に誰かに刈り取られてしまったのか?
どうも人間がすぐ悪いことすると考えてしまう癖がついてしまったか。
野に咲く一輪のユリの美しさ
小さな旅は、一人旅。

さて、こうして本日の突然の思いつきの「小さな旅」は終わった。
一人で林道を走ったのは久しぶりだった。
それにしても家族持ちの身だ。
たまの日曜に家族サービスもせず一人で自分の趣味に走る。
妻や子ども達の冷たい視線を浴びるのは当然のことだが、ナニ、実は今に始まったことではないぞ。
かといって、堂々としていられるわけでもない。
こういう時に、あまり喋るといろいろとボロがでる。
この趣味をものすごく楽しんでいると子ども達に悟られてはまずい。
大変なんだぞ、苦労するんだぞ、などと思わせておき、一方で「いっしょに行くか?」などと尋ねてみる。
しかし付いて来られると自分のペースで走れないことは解っているだけに、誘う声は小さい。
返事が無い間に、サッと出てしまうのである。
こういうせこいバトルをしながらでも旅に出る。
自由に旅していた一人身の昔を思い出しつつ、今できる最大限の「小さな旅」がこれである。

それにしても今回は景色のいい所でサイフォンで沸かすコーヒーが飲めなかったのは、返す返す残念であった。
それから、撮影のための最高のアングルも結局みつけられなかった。
この車を買った最大の目的は「写真撮影の移動の足」であったのだが・・・。
しかし、まあしょうがない。
よし次回は、綺麗な夕陽を見つめながらコーヒーを飲み、カメラに感動を撮って帰ろう。


岡村 博文
E-mail: okamura@fuchu.or.jp
Website: http://www.fuchu.or.jp/~okamura/

このコラムの感想はココ

根性の下駄の旅100km
その一そのニその三その四その五

紹介原点
Click here to visit our sponsor